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原発事故で帰還困難区域となった福島県浪江町の赤宇木地区で、去年、1軒の住宅が解体されました。家族は家の最期を見届けることを強く望んでいましたが、希望は果たされないまま、解体されました。1年に及ぶ密着取材から、いまも進む帰還困難区域の住宅解体のあり方について考えます。 入手した22枚の現場写真 浪江町の帰還困難区域にあった、ある家を解体する過程を記録した22枚の写真。環境省が持っているもので、TUFが独自に入手しました。去年11月4日に撮影された写真では、大きな古民家がすでに半分ほど失われています。家の主は、今野邦彦さん。悩みぬいた末に、家の解体を決めました。今年7月、家の跡に生えた草を見つめて、つぶやきました。「やっぱり建物なくなったって草ぼうぼうはいやですよね。草刈り機をもってきて、自分で刈るしかないのかな…」 解体された我が家は「ラッキー」 築170年にもなる今野さんの家は、浪江町の赤宇木地区にあります。赤宇木は帰還困難区域ですが、特定復興拠点区域の解除に伴い、道路沿いの20メートルを除染・解体する、いわゆる「キワ除染」の対象となったのです。「本当に望んでも解体できない人のことを考えるとうちはラッキー。だけど、同じ解体している人たちがこういう同じ目に遭ったり、これから遭うのであればそれはよろしくないですね」今野さんは、家の解体を自分の目で見届けることを強く希望していましたが、叶いませんでした。「立ち会えなかったというのが一番つらい。実際にガシャっとやる瞬間をね…」 先祖とともに家の“葬式” 去年、解体を決めた後、今野さんは家族やきょうだい、そして先祖の遺影とともに、「家の葬式」を執り行いました。旧津島村の初代村長・今野美寿を輩出するなど、今野家は長年、地域住民のよりどころでもありました。「あの家使った先祖たちが、何十人、何百人いたか数えていないけど、あの人たちの思いもね…。現場を見て、お墓に報告する義務があるからね」「家の葬式」から1か月後の去年6月。解体に先立ち、今野さんは環境省との打ち合わせに臨みました。「解体に着手するときは見たい」と、この場でも伝えた今野さん。環境省の担当者と、同席した業者は「着手時には連絡します」と、明言しました。原発事故で解体せざるを得なくなった家の最期を見届ける。この日も、今野さんは、自らの希望を念押ししていました。 突然の「解体中止」 そして、その4か月後の去年10月29日。解体に着手するという連絡を受け、今野さん夫妻や県内外に散らばるきょうだいが、再び家に集いました。三女の生子さんは、東京から駆け付けました。それぞれが、思い出を胸に、静かにその日を迎えるはずでした。ところが、当日集まったメディアに対し、解体を請け負った業者が「作業員の個人情報が含まれる」ことを理由に、解体現場の撮影をやめるように要請しました。個人情報とは、名前や住所など、特定の個人を識別できる情報のことで、今回の取材に、そうしたものは含まれません。配慮をする旨も伝えましたが、業者側は「重機に書かれた社名も個人情報だ」と主張し、話し合いは平行線をたどりました。一方、今野さんたちは、自分たちがすごした家の姿を目に焼きつけていました。神棚や家具は片づけられ、柱だけになった家で、思い出を語り合います。家を離れる際、次女の国分晶子さんは、家を振り返りながら静かに話しました。「本当に見納めだ。かえって見せてもらえただけでも感謝だね」あとは「家の最期」を見届けるだけ、そう思った矢先でした。「きょうは躯体を噛む作業(解体)はしないそうです」業者は突然、作業の中止を通告。当初は「解体した後の仮置き場の都合がつかない」としていましたが、その後は「安全が確保できないため」などと説明。結局この日、解体を見届けるという今野家の願いは叶いませんでした。 連絡なしで解体 失われた機会 それから2か月後の去年12月。かつて多くの住民が集った今野家は、すでにありませんでした。あの日以降、今野さんたちが知らない間に解体が進められ「目に焼きつけて、先祖に報告する」機会は、永遠に失われました。三女・今野生子さん「今野邦彦は母屋の解体はちゃんとお別れをしたいと。自分の代でこの家を閉じるところをご先祖様にどういう報告をするかも含めて心の区切りをしたいという希望だったので、(10月)29日に中止になって、あとは連絡を待っていたのにもかかわらず、連絡なしで…」長女・原田かつ子さん「きょうかきょうかと思ってね…毎日、許可証も取って、待っていたのにね……」なぜ、所有者に連絡もせず、解体を進めたのか。環境省は、「一般的に解体の前と後に立ち会いをお願いしており、実際に建物を解体する日は通知していない」と、コメントしています。その一方で、内部文書から、新たなこともわかりました。「当日10:30~13:00までは休工」解体予定日前日の10月28日に、環境省と業者の間でやりとりされたメールです。突然決まったように思われた工事の中止は、実は前日には決められていたとも読める内容です。その翌日29日に、工事は中止となりました。入手した現場写真の最も古い日付は10月31日。少なくとも2日後には工事は再開していたことになります。 「現在、過去、未来、すべて否定された」 知らされなかった、家の最期。せめて、それを見届けられれば、自分の中で区切りがついたかもしれないと、今野さんは思っています。「解体は本当に残酷なシーンだと思うんですけど、精神的には後々、楽になりますよね」同じ赤宇木地区の中には、解体の対象にならず、家がそのままの人もいます。「自分は幸運だった」と、今野さんは強調した上で、これから解体する人の中に、自分と同じような思いをする人が出てほしくないと話します。「現在、過去、未来、すべて否定されたわけで…。もう少しこの……12年も経ってさ、寄り添う姿勢がほしいと思うんですよね」7月初旬。夏になり家の跡地には、雑草が目立つようになりました。今野さん「家屋解体したって、所有者は管理しているんだというところを見せたい」 記者「それは、誰に見せたい?」 今野さん「こういうことを起こした人たちにね」今回、壊されたものは、何だったのか。帰還困難区域にあった家の跡地が問いかけています。【編集後記】TUF報道部 木田修作記者 帰還困難区域では、そこにあった生活が失われつづけています。その痕跡さえも根こそぎ奪うことになりかねない解体という選択をしたということ、あるいはその場所に人の生活や歴史、文化があったということへの視点が、果たして施工した側にあったのか、疑問を持ち続けています。これまで何度か帰還困難区域の住宅解体について取材してきましたが、その受け止めは人によって異なります。現場を見たい人、見たくない人、解体を望んでいる人、望まないけれど解体せざるを得ない人、その異なる受け止めをほんの少しでも感じることが「寄り添う」ということなのではないでしょうか。 詳細は NEWS DIG でも!↓ https://newsdig.tbs.co.jp/articles/tuf/603180
自宅の“最期”を見届けたい 願いはなぜ叶えられなかったか 福島自宅の“最期”を見届けたい 願いはなぜ叶えられなかったか 福島自宅の“最期”を見届けたい 願いはなぜ叶えられなかったか 福島自宅の“最期”を見届けたい 願いはなぜ叶えられなかったか 福島自宅の“最期”を見届けたい 願いはなぜ叶えられなかったか 福島自宅の“最期”を見届けたい 願いはなぜ叶えられなかったか 福島自宅の“最期”を見届けたい 願いはなぜ叶えられなかったか 福島自宅の“最期”を見届けたい 願いはなぜ叶えられなかったか 福島自宅の“最期”を見届けたい 願いはなぜ叶えられなかったか 福島自宅の“最期”を見届けたい 願いはなぜ叶えられなかったか 福島自宅の“最期”を見届けたい 願いはなぜ叶えられなかったか 福島自宅の“最期”を見届けたい 願いはなぜ叶えられなかったか 福島自宅の“最期”を見届けたい 願いはなぜ叶えられなかったか 福島自宅の“最期”を見届けたい 願いはなぜ叶えられなかったか 福島
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