Loading the player...

# Use Youtube player (with Youtube AD) #<<<>>> # Use our player (Downlaod, Unblock & No Youtube AD) 再生できないときはここをクリック click hrer if failed to load 如无法播放请点击这里#

INFO:
昭和の画家であり、「裸の大将」として知られる山下清を紹介します。 *** こんにちは。人から分かる3分美術史。 今日は山下清について勉強していきましょう。 山下清。1922年生まれ。昭和の画家であり、「裸の大将」として知られます。 清は大正11年に、東京、浅草に生まれました。両親は新潟の出身であり、父親は板前を営んでいました。 しかし清が生まれて翌年に、関東大震災によって家を焼け出されます。そこで新潟に帰りますが、貧しい生活のなかで清は、重い病気に陥り生死の境を彷徨いました。これが原因で、清は知的障害を持ったといわれます。 清が4歳の頃に東京に戻りますが、父親は酒がたたって脳出血で倒れ、清が10歳の頃に亡くなりました。残された母親と清ら3人の子供は貧しい生活を余儀なくされ、福祉施設で暮らすこととなりました。 12歳で養護学校である八幡学園に入学。その教育の中で、次第に清はちぎり絵の才能を発揮しはじめました。 清の最初期の作品が「金魚」。1934年、清12歳頃の作品です。 初期の傑作として知られるのが「お化け」。1937年、清15歳頃の作品です。 八幡学園に勤める精神科医で美術評論家でもあった式場隆三郎は、清の作品に着目し、生涯に渡ってその活動を支援しました。そして清の作品は反響を呼び、若くして個展の開催や作品集が出版されるなど、人気を集めました。 しかし清はそれに頓着せず、1940年、18歳のおりに突如として放浪の旅に出発します。 それ以後の清は、放浪と制作を繰り返しながら、多くの傑作を生み出していきました。 清の作品を見ていきましょう。 「東京の焼けたとこ」。1949年、清26歳頃の作品です。清のちぎり絵は、2,3ミリの小さなちぎり紙をびっしりと敷き詰めて制作されました。 「長岡の花火」。1950年、清27歳頃の作品です。清は花火のちぎり絵を数多く制作し、中でも本作は柳宗悦とバーナード・リーチを驚嘆させたといわれます。 1971年、清は49歳のときに脳出血で亡くなります。現在でも、戦後日本の最も著名な画家の一人として、また、「裸の大将」として知られています。 以上!
3分でわかる山下清(人から分かる3分美術史174)3分でわかる山下清(人から分かる3分美術史174)3分でわかる山下清(人から分かる3分美術史174)3分でわかる山下清(人から分かる3分美術史174)
3分でわかる山下清(人から分かる3分美術史174)